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【第四話 欲が招いた失態~一石二鳥ならぬ一針二魚で逃した大物~】

『後悔先に立たず』という諺がある。事後に悔やんでも結果は変わらないので、何かを為す際は、あらかじめ注意して行動しなさいという、先人の戒(いましめ)だ。

そうと分かっていても、過ちを繰り返すのが人間の性。自分に問うてみると、楽をして利を得たいという煩悩が、心の底に層を成してへばりついている。
事あるごとに顔をもたげる利己的で怠惰な己に辟易しながら、これではいかんと自分を叱咤(しった)し、これまで何とか生きてきた。
これは仏教で説く五欲の一つ、『睡眠欲(楽をしたい欲求)』が招く葛藤だ。その他の四欲は、『食欲』、『財欲』、『色欲』、『名誉欲』。どれも、これも人間を惑わす欲望であり、最近、世間を騒がせている某グローバル企業の会長の逮捕も、十分過ぎるほどの報酬に飽き足らず更なる富を求めた結果であり『財欲』に抗えなかったクチではなかろうか。
とはいえ、欲を持つのは悪いことではない。人間は欲求を叶えるためなら努力を惜しまないからだ。仮に、それが善き望みなら、その努力は自分を高めることになる。要は、どんな欲望を抱くか。僧侶ではなく俗物である私は、何も望まず何も為さずに終わる人生より、欲を持って生きていきたいと考える。
偉そうに講釈を垂れたが、私は反面教師。実態は怠け者の三文文士なので、いつも『睡眠欲』に抗えず楽な道を選んでしまう。当然ながら、これまで数々の失敗を重ねてきた。そろそろ怠惰に別れを告げ、求道者の如く精進して生きねば。
これから語る釣りの話は、その『睡眠欲』という怠け心が招いた災いだ。

今から数年前の晩夏、道東のとある川へ遡りアメマスを釣りに行った時のこと。その日は前夜に降った豪雨の影響で、川が増水しコーヒーブラウンのような濁流が流れていた。
「これ、ひどいなぁ。川に入れないほどの増水じゃないけど、濁りが半端ないね。どうする?」川面から眼を離した私は、怪訝な面持ちで友人に訊ねた。
「厳しいでしょうけど、五時間かけて来たのに竿も出さずに帰るのは悔しいですね」

普段なら諦めて帰る状況だが、友人は腕を組んで何度も小さく頷き、川から離れる様子がない。私を慮って次の言葉が発せないでいるようだ。ならば、こっちから誘いをかけてみるか。
「だよね。ダメモトでやってみる?」
「ですね。」友人は即答。
これで決定。無理を承知で竿を出すことにした。

とはいえ、この濁りで釣りは厳しい。考えた末に、いつものポイントは諦めて、一気に上流域まで移動することにした――。

数キロほど川沿いの道を遡り、橋の袂の空きスペースに車を停めた。この辺りは、クリアーウォーターの枝川が流れ込んでいるために幾分濁りが薄くなっているはずだ。橋の上から川を覗くと、水嵩の増した流れの脇が緩流の深瀬になっていて良さげな雰囲気だ。
〈ここなら釣りになりそうだ。アメ公も酷い濁りを嫌って、この辺りに入っているかもしれないし。ちょいと、やってみるか〉

私と友人は急いで支度を整え、川に降りて行った。他の場所よりも濁りが薄いといっても透明度が低いので、今日は八・三メートルの本流竿を使ったエサ釣りで挑む。
濁流でも目立つようにハリの上に黄色いエッグボールを付け、ブドウムシ二匹掛けにした。すると二回目の流しでアタリ。川面の上で目印が跳ねた。
アワセが決まると、獲物は一気に走り出した。
〈この引き込みは……。大物なのか? それにしてはちょっと感触が違うような。首振りもなかったし〉

アメマスは針掛かりすると水中で二、三度首を振ることが多い。しかし、この魚は最初から強く引き込み、そうした感触が一切なかった。
〈なんだか、嫌な予感……〉
 案の定、強烈な引き込みは、すぐに止んだ。竿を立てると、もがきながら手元に寄って来たのは、そう、キューと鳴くあの魚。しかも、ジャンボサイズだ。
〈マジでウグイか。それにしてもデケェな。これじゃアメマスと思うわ〉

メジャーを当てると、ジャスト五十センチ。引きが強かっただけに、ちょいと期待もしていたが、現実は、そう甘くない。
〈まあ、こんなこともあるよな。引きを楽しめただけでもいいか。次に期待しよう〉

ウグイをリリースして、仕切り直し。次こそアメマスと意気込んだのだが、その後も釣れるのはウグイばかり。しかも大きかったのは最初の一匹だけで、後はやり取りも楽しめない二十センチ前後のおチビちゃん。だんだん嫌気が差してきて、釣りが雑になっていた。

そこに、またアタリがきた。
〈小さなアタリ。どうせウグイだろ。エサも勿体ないし、放っておくか〉

あろうことか、アタリがきているというのに私は釣竿を抱えたままスマートフォンをいじり始めた。

それから少しして、竿先が一気に引き込まれた。
〈おおっ、すげぇ引きだ。もしかすると、ウグイが離れてアメマスがきたのかも〉

ピンと張り詰めた糸が唸りを上げる。スマホに気を取られていたので、首振りがあったのかどうかは分からないが凄いパワーだ。本流竿の弾力を生かして、じっくりと魚の力を削いでいく。
弱った頃合いを見計らって岸に引き寄せると、姿を現したのはまたしてもウグイ。しかも、良型が二匹同時に掛かっている。
〈ハリは一本なのに、これは一体、どういうことだ……〉

あり得ない珍事だが獲物をよく見ると、魚の鰓(エラ)からハリスが出ていて次の魚の口に繋がっている。
謎の真相が判明。アタリを放置していたために一旦はウグイの口に収まったハリが鰓(エラ)から出て、そのハリにまだ餌が残っていたため、次のウグイがふたたびハリを咥(くわ)えたというわけだ。

一本の針で二匹を得た奇跡。一石二鳥の珍事と云えば聞こえはいいが、所詮は外道のダブル。けして褒められたものではない。しかも、その後が悪い。

珍しい出来事だったので、友人に写真を撮ってもらっていた。だが、その最中、二匹のウグイがそれぞれ勝手に暴れるものだから、糸が絡んで仕掛けがメチャメチャになってしまった。この先の淵の流れ込みが期待のポイントだったのに……。

蜘蛛の巣のように絡んだ仕掛けを手にした私の肩越しから、友人がそのポイントを眺めている。交互に竿を出していたので、その場所の権利は私にあるのだが、このままでは釣りを中断させてしまう。残念だが、ここは譲るべきだろう。
「あ、そこはやっていいよ。仕掛けを直すのに時間が掛かるから」
「あ、はい。じゃ、お言葉に甘えて」
振込みを始めた友人を横目に、新たな仕掛けを作り始めてすぐだった。
出たっ! これは間違いない。アメマスだ。デカイすよぉ、神谷さん」
興奮が伝わる大きな声が上がり、友人の竿が弓なりになった。
糸を鳴らした獲物は、浅場に走って飛沫(しぶき)を上げた。その魚影は紛れもなくアメマス。それも七〇センチオーバーの超大物だ。

それから一〇分ほど格闘の末、アメマスは無事にタモ網に収まった。
「写真をお願いします」
友人は、こぼれ落ちんばかりの笑顔を作ってニコパチを決めた。
「それにしても、いい魚だね。太ってるから、サイズ以上に大きく見えるし」

二人でじっくりと魚体を鑑賞した後、獲物の回復を待って、ふたたび川に放つ。アメマスは大きな魚体を左右に振って泳ぎ始め、すぐに薄茶色の流れと同化して姿を消した。
「いやぁ、嬉しい。いい感じに写ってるわ。ありがとうございます」
カメラのモニターを何度も眺めて悦に入る友人を見つめる私は、正直、複雑な気持ちだった。

その後は、私もアメマスを手にしたが、友人のサイズには及ばず。
帰りの車中、興奮冷めやらぬ友人は大物アメマスとの格闘劇を繰り返し語り続けた。私は友の幸運を祝福しつつも、己の不覚を悔いていた。あのポイントは自分が攻める筈だった。順当なら、あの獲物は私が釣り上げていた。気を抜かなければ、ウグイを二匹一度に掛けることもなかったし、仕掛けも絡ませなかった。すべては自分の怠慢が招いたことだ。
欲望を原動力にして精進せねば、何も為せないのは釣りも同じ。あれから時は流れたが、いまだに釣りから学ぶことは多い。私にとって、川は人生の教科書だ。

 

■写真データ

厚い雲の隙間から朝日が覗く。遠征先は、雨上がりだった。


朝靄に包まれた河畔林の奥に佇むエゾシカ。北海道の自然はジブリの森のようだ。       


濁った流れの中で暴れる魚はずっしりと重く、本流竿を曲げた。


重い獲物の正体は、なんとウグイのダブル。怠慢が生んだ奇跡のフッキング。一針二魚の珍事だ。


五十センチの大物ウグイ(大型に成長するマルタウグイ)。


この日、私が釣った最大サイズ、六十センチのアメマス。大型のアメマスだが、友人が釣ったのは七十センチの超大物。本来なら私が釣る筈のポイントだっただけに、悔いが残る。

 

神谷悠山 北海道旭川市在住
物心がついた頃から渓流釣りを覚え、これまでに様々な釣りを嗜んだ。その経験を生かし、メディアで釣りの魅力を紹介している作家、構成作家。得意とするのは、内水面のトラウトフィッシング。自らを欲張りな川釣り師と称し、ルアー、フライ、エサを問わず、ノンジャンルで釣りを楽しんでいる。