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【 第九話 渓谷で眼にした黒い帯~季節外れの甘露が、呼び覚ます記憶~】

夏と秋の狭間に、北海道中央部の深山を流れる川に入った。

「おかしいな? オショロコマがいない。これは、一体、どういうことだ」

澄んだ流れのどこを探ってもオショロコマが居ない。魚影の濃い川なのに、今日は小さな虹鱒がたまに釣れるだけだ。

ここも駄目か、何故だ? どのポイントを探っても結果は同じ。謎は膨らむばかりだ。

〈これ以上粘っても無駄だ。今日はもう諦めよう〉

釣りを止めて車に戻ったものの、どうにも納得がいかない。

事の真相を確かめたいという衝動に駆られ、川の上流に向かって車を走らせた。

今年は紅葉が早い。車窓に流れる景色にチラホラと赤や黄色が滲む。寒暖の差が激しい年は、紅葉が進むというが、まさにその通り。林道脇の河畔林は、もう秋の装いだ。

だが、素直に景色を楽しむ気にはなれない。極端な天候は、山の実りを減少させる。実際、今年は食料を求めて熊が市街地に出没する事件が多かった。山道のキタキツネも痩せこけていて、冬を越せるのだろうかと、心配になってしまう。

 

 スタート地点から三キロほど上流側に走った所で林道が土砂で塞がれ、車が進めなくなった。

〈もっと上へ向かいたかったが、ここから川に入るしかないな〉

そう決めたのだが、すぐに車を離れる気にはなれなかった。車を停めた場所に、ヒグマの糞と足跡があったからだ。

真新しい痕跡ではないが、熊に遭遇する可能性がある。しっかりと準備せねば。危険な目に遭ったらすぐ発車できるように車をUターンして再び停車。鈴と爆竹とヒグマ撃退用のスプレーを準備して、林道から垣間見える流れを目指した。

 

腰まである熊笹を掻き分けながら、やっとこさ、川に到着。

〈あれは、何だ?〉

私の眼に奇妙な黒い影が映った。

それは、川の流れに沿って揺らめく黒い帯のようなものだった。一メートルほどの長さで幅二十センチくらいの黒い影が、ウナギか蛇のように蠢いているではないか。

 

ロッドを置いて、しばらくその様子を観察していると、長い影は時々騒ぐように霧散してまた元に戻る。これは魚の群れだ。

「え、これ、オショロコマ……」群れを離れて岸寄りした一匹の魚を眼にした私は、驚きの声を上げた。

 その魚は私から離れて、群れに戻っていった。

そう、驚くことに黒い帯の正体は、オショロコマの群れだったのだ。

〈マジか……。オショロコマの大群だ〉

初めて眼にする光景に圧倒される私。もはや釣りなどしている場合ではない。

おそらく、これが下流で釣れなかった理由。この川に棲息するオショロコマの大半が、ここに集結しているのではなかろうか。そう思わせるほど、同様の群れが幾つもあった。

そしてオショロコマの集団は、さらに私を驚かせる行動を取り始める。一匹の雌を複数の雄が取り囲み、一斉に放精を始めたのだ。

〈まさか集団産卵? ウグイじゃあるまいし。そんな馬鹿な〉

眼を疑うようなその行動は、それぞれの群れで確認された。

鮭科の魚は雌を奪い合って激しく争う習性があると思い込んでいた私は、不可解な光景を目の当たりにして戸惑うばかり。

 

個体密度が影響しているのか、はたまた産卵中の彼らを狙う外敵から逃れるための知恵か、この川特有の現象なのか? 魚類学者ではない私には分からないが、産卵後、ボロボロの尾鰭を振って卵に砂利を被せるオショロコマの行為は、必死で子を守る親の姿を彷彿とさせた。生き物の根底に流れる本能は、人間が己の子に注ぐ愛情と何ら変らないのだ。

 

すっかり毒気を抜かれてしまった私は、竿も出さずに川を後にした。

帰路に立ち寄った道の駅に季節外れのカンロ(味瓜/アジウリ))が置かれていた。その実が放つ香りは、少年時代の懐かしい思い出を呼び覚ます。

 

私が小学校に上がったばかりの頃、昭和四十年代の富良野盆地は、大雪山の麓に広がるのどかな田園地帯。生家の周辺は大半が米農家で、人々は北国の四季と寄り添いながら暮らしていた。

北海道の冬は厳しい。盆を過ぎれば夏が終わり、九月には、もう霜が降りる。一〇月の半ばを過ぎれば、空から白いモノが舞い降り、冬将軍の足音が一気に高まる。そして大地を積雪が覆い尽くし、厳しい寒さに耐える日々が始まる。

一年の半分近くも田園に横たわる雪は農家にとって厄介な存在だが、皮肉なことに、その雪代は農業を育む水の源でもあるのだから、この試練は自然が与えた飴と鞭とも言えよう。

長い冬を越えた先には、別世界が待っている。春が訪れると、大地は野花で溢れ、生きとし生けるものは輝きを取り戻し、一斉に活動を始める。

時を同じくして人間界も動き出す。凍てついて彩りを失っていた水田は満と水を湛えた美しい銀の水面に変化する。やがて水が温み、代掻きが始まり、次々と植え込まれる苗が水田を緑に染めていく。

 

画家がキャンバスに絵の具を乗せていくような様は、機械化の進んでいない当時の田園ならではの光景。人手が必要な農業を支えていたのは、『デメン』と呼ばれていた人たち。今風に言えば農作業のパートとなるのだろうが、もっと互助的で親しみ深いものだ。

簡単に説明すると、『デメン』は、農繁期の人手を補う互助システムで、先に作業の終わった農家の奥さんたちや、知人を募って構成される助け合い精神に満ちた働き手だ。

かく言う私の母も、よく『デメン』に駆り出されていた。整備工場を営む父の商売相手の多くが農家なうえに、母自身、秋田県から北海道の農家に働き手としてやって来たという経緯があったからだ。

 

そんなわけで農繁期に入ると、母と過ごす時間が極端に少なくなる。だから幼少期の私は、その時期が大嫌いだった。

しかし、『デメン』に赴く母に会える裏技が一つだけあった。それは、『デメン』先の農家へおやつを配達する仕事のお手伝い。

当時の実家は、整備工場に商店を併設していたので、農家から『デメン』のおやつを受注していた。父の後について、菓子パンやジュースが入った段ボール箱を抱えて行くと、お菓子のおこぼれにありつけると同時に、母に会うことが出来たのだ。

 

おやつを運ぶ私を見つけた母が、田植えの手を止めてあぜ道に上がって来た。

「偉いね。お父さんを手伝って」

「うん」頷いて返事をすると、母は私の頭を撫でてカンロの実をくれた。カンロの甘い香りは、記憶に残る母の匂いだ――――。

  •        *        *

今の私があるのは、親が産み、育ててくれたから。瞼裏に浮かぶ母の残像と、産卵でボロボロになったオショロコマの姿が重なった。

それは、生の原点。自分の分身である子を産み出す行為は、DNAを次世代へ伝えていく生き物の使命でもある。ある意味、生物の進化は、己が遺伝子を増やす仕組みを発展させてきた歴史とも言えよう。

その過程で生物は、雌雄同体の原始的な細胞分裂から、雌と雄が協力して子を生み出す生殖に進化したが、高等生物になるほど、その子供は成熟するまでの時間を要するようになる。そうなれば、外敵の多い自然界で大人になるまで生き抜くのは至難の技。確実に子孫を残すには、大人になるまで親が子を守らねばならない。それが子育ての原点だ。

子育てという言葉には人間的な温もりを感じるが、育児は人間やほ乳類だけのものではない。太古に遡れば、恐竜が子育てをしていた痕跡が見つかっているし、現存する鳥類だって立派に子供を育てている。

我々釣り師の興味の対象である魚だって例外ではない。メジャーな熱帯魚のアロワナはマウスブリーダーといって、雌が産んだ卵を雄が口中で孵化させて、稚魚が自立するまで守り育てるのだ。

それを鑑みると、奇異に映ったオショロコマの集団産卵も自分の子孫を守るための知恵なのかもしれない。子を持つ親は、すべからく必死なのだ。

親が子に抱く思いは、生物の細胞の奥深くに刻み込まれている本能なのだろう。しかし、その愛情は理屈では計れない。親から受けた愛は記憶の奥底に蓄積する。それが個人の人格を形成し、大人になって子を持てば、ふたたび次世代へ注がれる。終わりなき愛情の連鎖は、時を越えて流れ行く川のようだ。

あの日から半世紀余りの時を経て、私も子育てを経験し、親の苦労を知る歳となった。ありがたいことに両親は、未だ健在。これからは、子に注いで残った愛情を親に返さねば。

◆Photo graphic

001・入渓したのは、オショロコマの魚影が濃い川。美しい魚体が拝めるはずだった。

002・どのポイントを探ってもオショロコマが出ない。

003・この日は、何故か小型のニジマスしか釣れない。

004・紅葉が始まっている上流域で釣りを再開。そこで奇妙は黒い帯を発見。

005・黒い帯の正体は、オショロコマの群れだった。

006・初めて眼にしたオショロコマの集団産卵。

007・道の駅で見つけた甘露(カンロ)。懐かしい甘い味のアジウリは、母の匂いがした。

008・北海道の田園。銀の水面は水が温むと緑の絨毯と化す。

009・すくすくと育つ北国の稲(写真は鷹栖町の田んぼアート)。

010・雪に覆われた大雪山。厳しい自然は、試練を乗り越えた生き物に恵みを与える。

神谷悠山 北海道旭川市在住
物心がついた頃から渓流釣りを覚え、これまでに様々な釣りを嗜んだ。その経験を生かし、メディアで釣りの魅力を紹介している作家、構成作家。得意とするのは、内水面のトラウトフィッシング。自らを欲張りな川釣り師と称し、ルアー、フライ、エサを問わず、ノンジャンルで釣りを楽しんでいる。