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【 第六話 心を癒すバンブーロッドの温もり~『クラシックな一日』を愉しむ~】

人間が釣りを始めたのは、いつからだろう? 正確にその時期を特定するのは難しいが、これまでに為された遺跡の発掘調査では、有史以前の紀元前一万年頃から動物の骨や角などで作られた原始的な釣り針を使用していたことが分かっている。考古学的見地から察するに、狩猟を主たる生活の糧としていた時代から、我々は魚を釣っていたと考えられる。

強靭な筋力も鋭い爪も牙も持たない我々人類の祖先にとって釣りは、食料を確保する画期的な発明だったに違いない。お腹を満たすためには、より大きな魚をたくさん釣らねばならない。それには漁具の発達が不可欠。生きるために御先祖様が努力を重ねた結果、竿が生まれ、釣り針の性能は上がり、糸も丈夫になった。
二十一世紀の現在、釣り道具は驚くほど進歩している。巨大な魚と力勝負しても折れないと謳われるロッド、労力の要らない電動制御のリール等、最新鋭のタックルは高性能で便利なモノばかりだ。
優れた道具を使って釣りをするのは快適なはずだが、時折、釣果を追求する釣りに疲れてしまう。現代人にとって釣りは趣味であり、獲物を捕らなければ生きていけない訳ではない。勿論、たくさん魚を釣るのは楽しいが、たまにはノンビリと竿を出して究極の一匹を求めたくなるのだ。
そんな時、私はフライロッドを手にする。フライの基本的なタックルは旧態依然として、ゲームフィッシングの誕生から、その構造を殆ど変えていない。タイイングも含めて実釣に至るまでの過程は趣深く、スローライフを体感できる。ゆったりと川遊びに興じるには、最適のジャンルだ。
※ ※ ※
急ぎの仕事が終わり、書斎でサイフォンからコーヒーが落ちるのを待っていた時、スマートフォンが鳴った。
着信はロッドビルダーの友人。タップすると、受話口から「遊びにおいでよ。 見せたいものがあるんだ」とお招きの言葉が響いた。
落とし立ての熱いコーヒーを啜り終えてから、友人の元へ急いだ。拙宅から四キロほど離れた彼の家に到着したのは、およそ四〇分後。ノックして工房のドアを開けると、部屋の片隅に美しい竹製の釣竿が立て掛けられていた。
「悠さん、やっとできたよ。どうだい、これ。まずは振ってみなよ」
友人が、樹脂でコーティングされた渋い竹竿を手渡した。
それは三角形に削った竹材を貼り合わせて作った西洋式の竹竿、バンブーロッドだった。
「これ、いい感じの弾力だね。もう使えるの?」
「モチロン、実戦で試してみないか? 悠さんと行こうと思って二本用意したんだ」と言って、友人は、私の前で自作のバンブーロッドを軽く振って見せた。
二人のスケジュールを擦り合わせて、釣行日は三日後に決まった。
 
家に戻って、バンブーロッドに合わせるリールをセレクト。フローティングラインのチェックも問題なし。後はフライだ。この時期に合わせてタイイングしておいたドライとニンフ。札幌の友人から頂いた貴重なフライも持っていこう。これで準備は万端に整った。

そして釣行当日を迎えた。この日は八月下旬だが、秋の到来を予感させる寒い朝。私と友人は支度を済ませた後、ポットに入れたコーヒーを飲んで暖を取り、川霧で景色が霞む水辺に降りて行った。

川原を歩きながら「かなり冷え込んだね。魚の活性が低いかなぁ」と、私が言うと「ドライに反応すれば、いいんだけど。朝のうちは厳しいかもね。水温はどうだろう」と応え、友人は身体を屈めて川の水に手を浸した。
手製のバンブーロッドにDT#3Fのラインを巻いたリールをセットし、リーダーとティペットを結んだ先にあるのは、札幌の友人から頂いたドライフライ。このフライで掛けた写真を見せてあげたいが、今日のコンディションで釣れるだろうか。
最初のポイントに到着。さあ、フライ釣行の始まり。バックキャストで背負うラインのウェイトが肘に心地良い。久しぶりの感触だ。
友人と譲り合いながら川を遡り、ポイントを交互に攻めていく。夏の初めにこの川を襲った大雨の出水で、以前とは流れが大きく変わっている。だが、ほど良く淵や深瀬が存在しているので雰囲気は悪くない。これなら丹念に攻めれば、魚が出そうだ。
バンブーロッドはカーボンより反発が少ない。最初のうちは戸惑いを覚えたが、すぐにコツを掴んで美しいループを描けるようになった。こうなれば面白い。フライフィッシングの醍醐味は、キャスティングにもあるのだ。

流れの中心から倒木が顔を出しているポイントに向けて、そっとプレゼンテーション。パラシュートフライが着水するやいなや小型のトラウトがくわえた。型の割に良いファイトを見せるトラウトだ。丁寧にネットへ招き入れると、私は「ご先祖様」と声を掛けた。その魚は、和名『川鱒』。鮮やかな体色を身に纏う外来の鱒、ブルックトラウトだ。何故、ご先祖様なのかというと、岐阜から未開の北海道に入植した私の曽祖父が、この川に放った魚の子孫だからだ(外来魚の観念もない数十年前の話なので、ご容赦を)。曽祖父の入植地だったこの川の水系には、『神谷川』と名付けられた沢もある。どうやら、釣り好きのDNAは曽祖父譲りだな。
ちょいと脱線したので、話を元に戻そう。
ブルックが出た後は、まったくの無反応。どこを探っても魚の気配が感じられない。
「悠さん、ダメだね、こりゃ。魚が居ないんだろうか?」
「うーん、どうだろう。水温もあるかなぁ。それとも雨でポイントが壊れちまったのか。川を替えたほうがいいかもしれないな」
迷った末に、私たちはこの川を諦めて移動することにした。
その前に、「腹が減っては戦ができぬ」というわけで、遅めのブレックファースト。川原に横たわる倒木に腰を下ろし、持参したサンドイッチを平らげてから、次の釣り場を目指した。
 
新たな川に着いて間もなく青空が広がった。昼下がりの陽光が背中を温める。気持ちの良い秋晴れだ。
釣りを再開して間もなく、水面に黒い影と水しぶきが出現。ナチュラルドリフトさせたフライをイワナが襲った。
「来たよっ! いい型だ」
「悠さん、やったじゃん」
上流側から駆けて来た友人が、そう言ってカメラを構えた。
「いい写真が、撮れたよ」
「サンキュー、じゃ次のポイントは譲る。カメラを構えておくから、デッカイの頼むよ」
「おいおい、プレッシャーかけんな」と言ったそばからイワナがヒット。これも型がいい。
釣果はここまでだったが、私たちは日が傾く時間までバンブーロッドを振り続け、クラシックな一日を満喫した。
世の中は日々進歩する。釣りもどんどん変化する。だが、魚を針に掛けるという行為は変わらない。温もりを感じるバンブーロッドが教えてくれた。シンプルだからこそ、フライフィッシングは時代を超えて楽しめるのだ。

◆写真DATA


001・樹脂でコーティングされた美しいバンブーロッド。伝統的な西洋の技法で制作されたこの釣り竿は、友人の織田秀雪氏の作品だ。


002・素晴らしいタイイング技術を持った前川英一氏によって生み出されたフライの数々。鱒を誘う精緻な芸術品だ。


003・釣り開始。久々のフライフィッシング。バンブーロッドの釣りに胸が躍る。


004・フライフィッシングはキャストが面白い。タックルがシンプルなほど人の技量の入る余地が多い。趣き深い釣りだ。


005・和名・川鱒(かわます)ブルックトラウト。艶やかな外来の鱒だ。


006・ブルックトラウトの体側の模様。青、朱、黄、多様な色の斑点が散りばめられている自然のアート。


007・曽祖父が入植した水系にある『神谷川』には、今も鱒が泳いでいる。


008~ラインでループを描くのは、最高に気持ちいい。バンブーロッドの調子にもすっかり慣れた。


009~移動した川でイワナがヒット。フライロッドは魚の躍動を直に感じられる。究極の一匹を釣り上げるための道具だ。


010・前川氏の毛ばりをしっかりとくわえたエゾイワナ。いぶし銀の渋い魚体が味わい深い。

 

神谷悠山 北海道旭川市在住
物心がついた頃から渓流釣りを覚え、これまでに様々な釣りを嗜んだ。その経験を生かし、メディアで釣りの魅力を紹介している作家、構成作家。得意とするのは、内水面のトラウトフィッシング。自らを欲張りな川釣り師と称し、ルアー、フライ、エサを問わず、ノンジャンルで釣りを楽しんでいる。