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山元八郎ヒストリー/磯に生きる

 

阿波釣法をベースに独自の釣りを確立

 この釣り人がいなければ、現在のグレフカセ釣りはどうなっていたのだろうか——それほどまでに、グレ釣りの進歩発展に大きな影響と功績を残し続ける名手が山元八郎さんだ。

 徳島で受け継がれる阿波釣法をベースに独自の理論とテクニックを確立し、斬新な仕掛けやアイテムを生み出してトーナメントを席巻。報知グレ釣り選手権&名人戦、ダイワグレマスターズ、JFTグレ釣り王座やトーナメントなどで数々の栄冠に輝くレジェンドだ。そんな八郎さんは70歳を過ぎた今も、グレのシーズン中は週に1度は磯に立つ。なにがそこまで八郎さんを駆り立てるのか。「グレ釣りは人生」だと語る八郎さんのヒストリーを紹介したい。

 

釣りの展開をイメージしながら、まずはタモから準備をするのが八郎さんのルーティーン

徳島県南の宍喰・中マメで竿を出す。奥に見えるのは牟岐大島

 

 

数が釣れるグレに磯のおもしろさを知る

 1948年に徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)で9人兄弟の8番目に八郎さんは生まれた。子どものころからハエやアユなど川の魚に親しみ、グレ釣りを始めたのは徳島市内の会社に勤めだしてからのこと。

「19歳のときに会社の先輩に誘われて日和佐の磯にアイノバリ(アイゴ)釣りに行ったんです。それがまたよく釣れてね。船頭さんが『潮が引いたけん、もうちょっと釣れるところに行こう』って連れていってくれたところで、グレがなんぼでも釣れたんですよ。当時はそれがグレっていうのも分からなかったけど、磯っておもしろいなあということで、のめり込んだと思います」

 それからは、ひとりでもグレを狙いに磯へ行ったが、30cmの壁は厚かった。周りの人に聞くとおりハリス1.5号で挑んでは切られてばかり。それでも休みの日を待ち望んでは磯へ向かった。

 

良型グレを次々に引き出す現在の姿からは想像できないが、グレ釣りを始めたころの八郎さんにとって30cmは大きな壁だった

 

 

上手な人の釣りを見ることが一番の上達法

 「ある日、得意先の人から、そんなに釣りが好きだったら、徳島つろう会に入れって言われたんですよ」

 25歳の八郎さんが入会したそこは、数々の名手を輩出する老舗の名門クラブ。たかはし釣用品に事務局があり、店主で事務局長の高橋康生さん(故人)は、阿波釣法を世に広めた立役者のひとりだ。

「高橋さんにはいろいろお世話になってね、エサはこれだけ持っていけとか間断なく撒けとかいろいろ教えてもらいました。ある日、つろう会の大会のときに、隣でよく釣る人を見よったら、マキエを少しずつ撒いてる。私はどどっと撒いて、しばらくは撒かないというような感じでね、間断なく撒くっていうのが全然分かってなかった」

 魚を掛けてからのやり取りも違った。竿を立てていたら魚は浮いてくると言われたが、単に立てるだけではなく、魚の引きをいなしながら絶えず主導権を握れるよう竿を操ることを学んだのだ。

「見よう見まねで釣りをしたらその日7、8匹のグレ、40cmぐらいのが釣れてもうビックリしました。やっぱり見るってことが一番の上達法だなと思いました」

 それからは少しずつ釣果も伸び、また悔しいバラシやクラブの大会などもあって、八郎さんの頭の中は釣りのことでいっぱいになっていった。 

 

阿波釣法を世に広め徳島の名手を全国へ送り出した高橋康生さん

 

徳島県釣連の名人位を目指して

 そんなある日、クラブの大会で優勝した八郎さんは、連盟の大会に出場することになった。

「当時は連盟って何? ってぐらい何も知らなかったけれど、名人位制度があることを知って、それを目指そうと。子どものころにラジオで名人芸っていうのを聞いたんですけど、一番になったら賞金がもらえると。何事も一番にならないかんという気持ちもあったんだろうね」

 現代フカセ釣りのルーツといわれる阿波釣法は、明治末から大正初期には確立していた。戦後の混乱も少し落ち着いた1948年に、阿波釣法の伝承と技術向上、釣り人同士の交流と親睦を深めることを目的に徳島県釣連盟が発足。活動の一環としてクラブ対抗戦があった。そして1967年から68年にかけて、優秀な釣り技術を持つ会員を称える名人位を制定。これは、連盟の大会で優勝すると銀バッジ5点、上位入賞すると銅バッジ1点が送られ、15点になると金バッジの名人位を獲得するとのいうもの。名人位を目指してしのぎを削り合うことで、徳島の釣り技術は加速度的に進化する。

「連盟の大会に出るにはクラブの大会で勝たないかんのだけど、つろう会は20人以上が出よったから、そこで勝つのもたいへんだった。それに当時はクラブの数も多かったので、名人になるのに10年から15年と時間がかかる場合が多かったですね。私が挑戦し始めたときには5人の名人位の方がおられた。私は8って数字が好きだから、一生懸命やって8代目の名人になれたときは感無量でした」

 

手返しよく数を釣るスタイルはクラブに入り競い合う中で育まれていった

 

 

全国大会で見せた圧倒的な強さ

 名人位を獲得した八郎さんの次の目標は、全国規模の大会で優勝することだった。

1980年に、二段ウキ仕掛けを駆使して報知グレ釣り選手権初優勝。名人戦では苦杯をなめたが、85年に再度優勝し、名人戦で宮川明さんを破って第16期名人に。翌年は名人位の防衛に成功した。そして、88年にJFTグレ釣り王座決定戦で優勝し、90年代に突入すると王座に加えてJFTグレ釣りトーナメント、ダイワグレマスターズなどでも圧倒的な強さを見せ、2012年にはマスダーズV8という金字塔を打ち立てる。その姿に多くの若い釣り人が憧れ後に続いた。

 人よりたくさん釣りたい、勝負に勝ちたい。競技の釣りを通して八郎さんの釣りは進化し、その釣りを支えるための優れたアイテムが生み出されていく。

 

1993年のJFTグレ釣りトーナメントの上位4選手。左から3位の堀井頌通さん、優勝の八郎さん、2位の宮川明さん、3位の立石宗之さん

宮川明さんとは数々の名勝負を繰り広げトーナメントシーンを盛り上げた

グレマスターズでは4連覇を含むV8を達成。圧倒的な強さを見せつけた

 

 

八郎さんの代名詞、プロ山元ウキの誕生

 八郎さんの代名詞ともいえるプロ山元ウキだが、ウキ作りはグレ釣りを始めたころに遡る。そのころすでに徳島では、丸い玉ウキでは抵抗が大きくグレの食いが渋いことに気付いた人たちが円錐形のウキを自作していた。また、当時のウキは塗装が薄く、磯に当てるとキズがついて水を吸い、浮力が変わりやすかった。さらに八郎さんはサンデーアングラーだったことから、こみあう磯でたくさん釣るため人より沖を狙えるウキがほしかった。

 感度がよくて浮力が変わらず遠投できることを目指して作りあげたのが、グレの食い込みに違和感を与えないフォルムを持ち自重があってキズが付かない硬い塗装を施したウキ。レベルが高いという意味でプロ山元ウキと名付け、トップを目指す強力なウエポンになっていく。

 

八郎さんが求めるあらゆる要素が詰め込まれたプロ山元ウキ。視認性のいいスクラムストッパーと組み合わせることで、仕掛けのなじみや海中の様子などがしっかり把握できる

 

 

釣りたい一心が生んだ二段ウキ

 そんなプロウキで挑んだつろう会の大会でのこと。

「上手な人と一緒に上がって、朝のうちは釣れよったんですけど、北西風がびゅんびゅん吹いてきて釣れなくなった。私はめったに休みがないので、どないかして釣らないかんと。ウキを2つ付けて飛ばしたらけっこう沖まで飛んだんです。そやけど浮いているウキはすぐに手前に寄ってくる。そのときにオモリを打って下のウキを沈ませたら、潮に乗ってグレが釣れた。(一緒に上がっていた人が)『八っちゃん、それすごいな』って言ってくれたのがものすごくうれしくてね。そのあと、オモリを打って沈めるのではなく、最初から沈むウキを作ったんですよ」

 サブマリンと名付けられたそれは、マイナス浮力の水中ウキで、海面に浮かせるウキとセットで使う二段ウキが完成した。そしてこの仕掛けを駆使して前述のとおり報知グレ釣り選手権を制したのだ。

 その後、二段ウキの下側、すなわちマイナス浮力のウキを単体で使う沈め探り釣りや、上のアタリウキを小さくしたタナプロといった、今ではおなじみの釣り方や仕掛けに進化していく。 

 

昔のプロ山元ウキ。右下のサブマリンと書かれているのがマイナス浮力の水中ウキ。プロ山元ウキのトレードマークであるグレの絵は八郎さんが描いたもので昔と今では形が違う

 

 

 

時代を先取りするアイデアを具現化

「ひらめけばすぐ実行!!」が八郎さんの座右の銘。実釣においてはもちろん、モノ作りにおいてもその姿勢は変わらない。

プラスチック製のマキエシャクしかなかった時代、凍ったオキアミもガリガリ削れて、エサ離れもよく遠投が利くステンレス製のマキエシャクを開発。配合材が登場すると、刻んだオキアミと混ぜ合わせて遠投ができるマキエを素早く作れるようにステンレス製のマルチミキサーを発明。画期的なこのアイテムはフカセ釣りの必需品として瞬く間に普及した。

さらに、現代のフカセ釣りでは当たり前に使われる、アタリがあればウキ止めが抜けてウキがフリーになることで食い込みがいい2本ヒゲの「なるほどウキ止め」、ハリやガン玉を収納するマグネットシートと両面テープを裏側に貼り付けて、フローティングベストの胸ポケットに開閉式に取り付けたワッペン、上蓋にカギ状の切り込みを入れて釣ったグレを素早く入れてキープできるバッカンなど、時代を先取りした様々なアイデアを具現化。

G5ひとつで4ヒロ、5ヒロの深ダナを釣ったり、潮受けがいいようハリスの一部を太くしたり、従来の当たり前にとらわれない発想で釣果を伸ばした。

 

ステンレスで作った初期のマキエシャクとマルチミキサー。ちなみにマキエシャクのカップの穴は、プッチンプリンを食べているときにひらめいたものでマキエ離れが格段によくなった

元々はウキの抵抗だけでハリスを切っていくヒラマサを獲るためにひらめいたのが2本ヒゲのなるほどウキ止め。様々な釣りをこなしグレ釣りに応用したアイデアや技は少なくない

 

 

 

勝ちへのこだわりから生まれた速手グレ

 そんな八郎さんの勝つためのこだわりが反映されたハリをご存じだろうか。プレスバーブを採用することで、スレバリに匹敵する刺さりとエサ止め効果を両立した「速手グレ」がそれだ。

「JFTの大会は宇和島湾(愛媛県)でやることが多くて、後ろに釣果などをチェックするセコンドがつくんですが、2時間で108尾、検量対象の23cm以上の魚を98尾釣ったことがあるんですよ。ちょっと考えられん数ですけれど、それだけ釣るとハリを外すときにハリのカエシで指をいためて血が出るくらいになる。

 明くる年の大会で、ハリのカエシをひとつずつ潰す私を見て、オーナーばりのいまの社長、当時の常務に『山元さん、何をしよんですか』って聞かれたので、カエシがあるとなかなか外せんのですと。とはいえスレバリにするとちょっと大きい魚は外れて落とすことがある。やっぱり半スレみたいなのにせんと勝てんのですよっていう話をしたら、すぐに速手グレを作ってくれたんですよ」

このハリは八郎さんの大のお気に入りで、いまでもそれを主体にグレ釣りを組み立てている。

 

八郎さんがトーナメントで勝つためのこだわりから生まれたのが速手グレ

今でも八郎さんは速手グレをメインに釣りを組み立てている

 

 

信頼できるいいものを作り続ける

 さて、話は前後するが、八郎さんの人生に大きな転機が訪れたのは40歳のとき。勤めていた会社が廃業したのを機にウキ作りを生業に選んだのだ。

「それまでに全国大会で6回優勝していたのでね、このウキを使ったら釣れるっていうイメージもあったと思うんですよ。どんなサイズでも作っただけ売れました」

 ちょうど名人ウキが注目され始めた時代、プロ山元ウキの機能性と耐久性の高さは飛び抜けていた。大阪から徳島まで買い出しにいく人や、コンクリートにウキをぶつけて強度の高さを自慢する人もいたほどだ。

「やっぱりいいものを作らなんだら、世の中は受け入れてくれない。1回使ってまたほしくなるものを作る。自分もやっぱりトップを目指してきたから、信頼できるいいものを作らないかん。それはいまも変わらぬ信念ですね」

 

「昔はG5のウキを多用しましたが近頃は0や00がメインですね」と中マメのワンド奥でコンスタントに竿を曲げていく

 

 

考えることが多いからこそおもしろい

 ウキ作りと並行して、雑誌やテレビなどメディアの取材や執筆活動も増え、プロアングラーとしても忙しくなった。トーナメントでは勝利を重ね、離島に遠征して大型の尾長グレも仕留めた。釣りが仕事になることで、苦労はもちろんあったが、大好きなグレ釣りを中心に回る日々は充実感に満ちていた。

「グレっていうのはね、ほかの魚に比べて魚影が濃いんですよ。試行錯誤しながら釣っていくのが面白くて、とにかく考えることが多い。その中から掛けたときの1尾というのは価値がある。ただ、やっぱり魚にも逃げられるチャンスがあるハリスの太さで勝負するのが面白いですね」

 その魅力は何年経っても、何千尾、何万尾釣っても変わらない。だからこそ、いまでも磯に立ち続けるのだ。

 

雑誌の取材で訪れた伊豆七島の三宅島・マカド根で豪快に竿を曲げる。競技の釣りとは異なるパワフルなファイトで真っ向勝負する

60cmオーバー4尾を含む大型尾長グレの連打で初めて訪れた三宅島を満喫した

 

 

競うことでさらに楽しく上達も早くなる

 八郎さんのグレ釣りの根幹をなす競技の魅力についてはこう語る。

「普通の釣りと違って、1対1でやる緊張感でしょうね。相手がなんぼ釣ったって思うたら焦る、相手の魚は大きく見える。でもね、相手もそう思うてるし、その中で勝負する。勝ったときは本当に優越感もあるしうれしいし。やった!って感じでね。ぜひ皆さんも競技や大会にチャレンジしてほしい。とにかくグレ釣りが、さらにおもしろくなると思います」

 競う釣りから得られるものは、それだけにとどまらない。

「対戦することによって負けたときはこれがミスだったなとか、相手はこういう道具を持っていたとか、いろいろなことを考えるんですよ。やっぱり上手な人、勝ち上がってきた人っていうのはね、何かが違う。見たら一発で分かります。そういうのを見ることで上達するのが早くなる。

それとね、先輩がいろいろ教えてくれるんですよ。遠投がええんちゃうかとか、遠投の場合はウキ下を調整しながらマキエと合わしていかないかん。ちょっとでもズレとったらグレはマキエは食うてもサシエは食わんぞとか」

 そうしたことの飲み込みは若い人ほど早いという。だからこそ、グレ釣りがうまくなりたい若者には、ぜひトーナメントに参加してほしいと語る八郎さんだ。

 

70歳を過ぎた今も現役バリバリ。グレの動きに合わせてフットワーク軽く磯を駆ける

 

 

あと1匹を追いかけるアツき思い

「忘れもしません。日振島(愛媛県)の四角ってところなんですけど、私が1匹、もうひとりの人が3匹、もうひとりの人が4匹で、絶対負けとる試合だったんです。迎えの船が見えたときに、それまですぐに取られていたエサが残った。ウキ下を少し深くしてやったら50cm近いグレが釣れて逆転で勝ってね。私もこれまで1000を越える試合をしてきましたが、最後の一投で勝った試合がなんぼもある。だから最後の一投を大事にせないかん」

 磯に立てば、あと1匹のグレを追い求めるスピリットは今なおアツい。八郎さんのグレ釣り人生は、まだまだ続く。

 

あと1匹の積み重ねが大きな差になってくる。水温低下で食いが渋い中マメでの釣りだったが、最終的には2ケタをクリアし40cmオーバーの尾長グレも仕留めた。

取材当日の模様は動画をご覧ください。

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